「”やるべき”だからやる」を捨てて「”やりたい”からやる」に変えてうまくいく

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モノの断捨離をある程度終える頃、「やるべき」「しなければならない」を断捨離することにしました。そして、代わりに「したい」情熱に素直になっていこうとも。

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やりたいときにやりたいことをやるのが一番だと思った話

学生時代、勉強が苦手で勉強した記憶は皆無。そんな私が、英語の勉強を毎日12時間くらい続けた話です。

大学受験時にBe動詞もわからなかった私が、一番英語が伸びたなと感じたのがオーストラリアの学校で勉強した3週間。「I WANNA〜」も「CAN YOU〜?」も言えない状態でしたが、日本人がいない学校だったので、日本語を話すという選択肢はありませんでした。その状態が嫌なら辞めていましたが、その頃初めての海外生活で孤独も感じていたので人との交流欲求(日英限らず)がすごく高く、それに伴って英語を話したいも高かった時期なのでちゃんと勉強することにしました。

その3週間の勉強時間、毎日12時間ほど。頭を使っていたせいか毎日10時間ほど寝ていたので、起きている時の大半を英語の勉強にあてていました。その生活が全然嫌ではありませんでした。前進していると思えていたし、英語を話せるようになりたいという欲を満たし、目標に近づくための努力はすごく楽しく、全く苦ではありませんでした。

基本的に勉強が嫌いで、劣等生だった私が12時間勉強をし続けるなんて奇跡ですが、「人と交流したい!英語を話したい」という強い欲求と目的意識がミラクルを作りました。

「やるべき」「しなければならない」の害

逆に「やるべき」「しなければならない」だけで行っているのって不毛じゃないでしょうか。以下のような、デメリットしか思いつきません。

・自分も疲れるどころか、みている周りも辛くなる

→楽しそうにやってる人の方が見ていて心地よいし、一緒にいたくなる

・人によく思われたいという外に評価を求めている

→根本をたどってあるのが外評価なら捨ててしまった方がいいと思う。操作できない他の評価を得ることに必死なことより、自分が自分を認めていける方が楽

・もうそれを考える余裕すらない

→「なんのためにそれをしているかわからない」ようなことなんてやめて、したいことをはじめてはどうでしょう

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・体を壊すというのも少なくない

→無理した結果、こうなることも多々。好きなことなら精神的に満たされるので精神が害されることはないけど、やるべきという理由だけでやると、体も心も壊れてしまいそう。体を壊してまでしなければならないことなんて、何もない。

「やるべき」は自分が作っています。「やるべき」だけのことをやり続けて、何もいいことも起こらないと思います。

今やっていることは、本当にやるべきことでしょうか?

「やるべき」「しなければならない」より、「したらよくなる」

「やるべき」より、「したらよくなる」という考えの方が気が楽。やるべきは、マイナスをゼロにするイメージ、した方がいいはゼロをプラスにするイメージ。

そっちの考えの方がリラックスして取り組めるのではないでしょうか。

「しなければならない」「やるべき」より、「したい」情熱で動ける人でありたい

したい気持ちで動けたら、自分も周りも心地よいし、その方が物事はスムーズに進むはずです。

「やりたいこと」のために「やるべきこ」をするのは、根本が「やりたいこと」なので話は別ですが、根底に「やりたいこと」がないなら続かないし、辛いだけ。

情熱を伴わない「やるべき」「しなければならない」は捨てていいと思います。

情熱や「やりたいこと」にも鮮度がある

例えば日常的なことだと、図書館の予約した本。予約者多数だと読めるのがかなり先になってしまいます。届いた頃に読んでも、熱が冷めているので読んでも何も吸収できない。逆に読みたいと思った時に買った本は、吸収力がいいです。

※図書館について、みぅさんもブログで書いています。

何かを得る時「やりたいと思った時にやる」という鮮度も大事です。やりたいと思ったことはやりたいと思った時にやるのと並行し、行きたい場所に行きたい時に行く、会いたい人に会いたい時に会うことも同じ。

自分の情熱や求めるものに素直になっていると、その時の自分に一番合うモノが入ってくるはずです。

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