ノマド

リアルなアジアの途上国暮らし~最貧国に住んで気がついたこと35~

2013-2015年バングラデシュの首都ダッカで生活していました。

異文化すぎる中での過酷な生活は、未知の経験値を格段に上げました。

密度が濃かった分、いろんなことが倍速で起こった気がします。

そこで生活した経験から得た気づきをまとめてみました。

目次

自分は特別な人でもなく、平凡で普通の人

小さな世界は大きな世界の縮図。

小さな集団の中でも声をあげられない、おかしさに気がつかないのなら、何も変えることはできない不特定多数の人です。

特別な人と思われたかったということ、でもリスクをとって動けなかったり、おかしくても馴染んでしまうような一般的な人なのだということを認めました。

自分のキャパの狭さ

認めたくなかったけど、認めざるをえなかったのがキャパの狭さ。

「できる」と自分が思っているよりもキャパを下げ、コントロールをすることが必要でした。異国で過酷な環境ならなおさら。

そこを無理したから(無理しているつもりはなかった)身体がおかしくなったんだと。

「しんどい」と思うより先に身体がサインを出すようになりました。

正しいことより、必要なこと

正しさなんて絶対的ではないものだし、押し付けられてる正しさが納得できないなら、無視しても良い。納得できてないのに遂行できない。

その代わり、必要なことを見極めて応じること。その中でも楽しものを選んでやれば良い。

マイノリティーのようでそうでもない

途上国生活に飛びこむのは、その後の人生を狭くすると不安だった(婚期のがすとか履歴書黒くなるとか)けど、その後の人生の可能性や幅が広がった。

つまり、予想(主に不安)と真逆なことが起こった。

予想なんてあてにならない。

プライドと固定概念を捨てる勇気を持てば、死ぬことはない

プライドと固定概念に縛られ続けたら、倒れ続けて結果的に、きっと早死にする。

自分で自分をしめ殺すような行きすぎたマゾにはなりたくないから、縛りつけてるもの全て捨てたい。

自分の正義の押し付けは傲慢

自分の正義を人にも要求する人って何!?って悶々し続けてたから、自分はこれをしたくない。

悶々はしたけど、今思うとこれは自分軸を持って、嫌われてもしょうがないくらいに思っていたら防げたかも。

とにかく、正義感なんて人それぞれだから、否定も押し付けることもしたくない

親切の押し付けもエゴ

誰かを助けている&親切にしている自分が好きっていう人は多い。

別に良いけど、不要なのに弱い人たちにそれをやるのは迷惑でしかないから、誰を助けるかの見極めが必要。

プレゼントをあげて「ちゃんと使ってる?」って確認するのも、押しつけがましい。

必要なものは揃っている

本当に必要なものってそんなに多くない。

みんなにいい人だと思われたいという虚栄心は無駄

やりたくないことも頑張って、気持ちを抑えすぎて疲れていたけど、誰も身を粉にしてまで動いてって言ってないよ。

誰もあなたに苦しんで欲しいなんて思っていないよ?

それを選んでるのは、自分だよ?

人がどう思うかは操作できない

100人中100人に好かれることも、全員に嫌われることもない。

誰にでも好かれることに気を遣いすぎて疲弊してしまうくらいなら、そんな気遣い無視してしまえばいい。

苦手な人に気をつかってもいいことなんてないし、誰得にもならない

みんなに好かれたいからといって、苦手な人にゴマをすったり、嫌われないように気遣ったり、労力を注ぐことない。

その人が私のことどう思うかなんて、どれだけ努力しても操作なんてできないのだから時間の無駄。

歩み寄ろうとしてこない人に歩み寄るより、大事な人を大事にする方が大事

嫌いな人、私に興味ない人に歩み寄っても何も生まない。

だったら、好きな人、好きでいてくれる人、大事な人、大事にしてくれる人と歩みよっていたい

希望が人を強くする

絶望の中で希望が見えると踏ん張れる。

それが救いとなる。

貧困とは、希望の有無だと思う。

やってあげる精神は不要、自分が幸せにしてればきっと誰かの希望になる

自分が幸せになることが、それを見る誰かの希望となり、本当の意味での自立を促し、結果的に救えることがある。

(私がそういう人に1番救われた)

外のせいにしていることは、大抵自分のせい

起こっていることは誰かのせいではなく、自分のせい。

誰かが言ったからといっても、環境のせいだと思っても、それを決めたのは自分だから。

全ては自分次第

気持ち次第でよくもなるから、自分を気分良くしていればいい。

そうすれば、どんな時でも、どんな環境でもなんでも良く感じられる。

そんなメンタル欲しいな

人の意見を取り入れるのも、左右されるのも自分、だから責任は自分

誰かに言われたから、他がこう言ったからって文句言う前に、それを自分で選択しなかった自分がいたことを思い出す。

選択を他に任せて、良い時は感謝もせず、悪いこと起きたら責任逃れでそとのせいにするってただずるい人

自分を大事にすることは大事にしたいものを大事にするための基本

健康じゃなければ、大事なものを大事にする気力も体力もない。

健康管理は、全ての基本。

それ以上に大事なものが思いつかない

健康を保つのもなおすのも自分

そして、崩すのも自分。

治すのはお医者さんじゃなく自分。

その決意なくして良くはならないと思う。自分を信じて良いと思えることを治るまでやり続け、治ったら、良い状態を維持する。

それは自分にしかできない。

お医者さんや、トレーナーや栄養士さんやあらゆる人に依存したところで治らないし、維持しにくい

社会に対しての責任があるとしても、その前に自分に対しての責任を果たすことの方が大事

自分に対しての責任義務があるとすれば「自分の健康を守ること」「自分を幸せにすること」。

何をするにもこれを無視してうまくいくと思えない

身も心も潤っていれば、パフォーマンスが上がり、自分も周りも良い状態を保ち、良い状態に動かせる

なんでもうまくいくには、潤いが大事

やりたいことしかやらず、自分を潤わせることで、周りもハッピーにできる

人も自分も幸せにする人でありたいなら、まずは自分を好きやお気に入りで囲えばいい

誰かのためにって意気込んでも、つらそうにやっていたら誰得にもならない

自分がイマイチの状態で誰かのためって言って行動しても、迷惑をかけるだけ。誰もそんなの求めてないし。

泣かなくても苦労しなくても、正しいとされなくても役に立てる方法は沢山ある

自己満足、自己犠牲、虚栄心、下心からくる親切の押し付けだとしても、人を助けられる場合もある

親切の押し付けはエゴだと思うけど、それでも助けられる場合もあるかも。

売名行為で多額の寄付をするとか

お互いが理解しようとすれば、誤解もとけて良質な関係は築いていける

歩み寄る気持ちがあれば、何かあってもうまくいく可能性がある。

無関心なのが一番どうにもならない

いくら与えても、受ける側がちゃんとした受け皿を持ってないと何も残らない

と思ってたけど、今考えたら、受け皿がないのはただ不要だっただけかも。

与えるのが必ずしも良いこととは限らないらしい

良いコミュニケーションとはお互い理解したいという気持ちを持って接すること、歩み寄ること

それがなければ、どんな言語だろうが仲は深まらない。

歩み寄る気持ちがあれば言語やあらゆる壁は越えていける。

歩み寄りがコミュニケーションの鍵

うまくいかない原因は、余裕のなさ

喜びや面白いことは余裕や余白、空の部分に入ってくる。それがなければ、入ってくるものも入れない。

モノ(空間)でも胃腸(食べ過ぎ)でも幸せ(気持ちの余裕に入ってくる)でも

教える楽しさ、喜び(個人的なこと)

何かを伝えることは、とても楽しい。

やりがいもある。と私の好きなことが一つ増えた(ことも気づきの一つ)

人間の治癒力、回復力の凄さ

原因不明の高熱も嘔吐も食中毒も10分おきの水下痢も、水と電解質を欠かさず(食事はほぼ取らず)2日寝続けると治ってた。

勘でおかしいと思わない限り、熱、嘔吐、下痢は、3日目くらい続いてから、医療従事してる方に助けを求めても遅くなかった。

人間の自然の回復力って本当に素晴らしいっ!!信用しなすぎてごめんね

人種や住まい関係なくスキルを磨くことができる

同じスキルでも、国籍でもらえるお金が異なるのはおかしい。でも今の時代、ネットがあるため、スキルがある人がその分報酬をもらえるようになってきていると思う。それが個人的に見たら脅威ではあるけど、良いことだと思う。途上国の人にとっては希望でしかない

人種や住まい関係なく、スキルや頭脳や成果に見合った対価をもらえる平等な世界の実現が叶ったとき、うもれないようにする措置も大事

上の続き。平等な世界の実現はできても、自己アピールができず埋もれたら変われない。そういう人を発掘できるシステムか何かを作ることが必要かも

家族のありがたみ(=気兼ねなく頼れる人がいるありがたさ)

途上国(異国)で病気になる時は、肉体的にも精神的にもボロボロになる。必ず帰りたくなる。その状態で、泣きながらただ寝続ける。という経験をかなりの頻度でしていたのは私だけではなかったけど(痩せてる人が多かった)私もひどい方だった。
そこから一時帰国し、静かなで適温の場所で寝たい時に寝たいだけ寝て、美味しいご飯があって、安心できる美味しい食べ物を食べられて、助けを乞うのに気を使わなくても良くて、気にしてくれる家族と共に同じ屋根の下、心から安心して療養できた時の安堵と感謝は一生忘れない

最悪なことは、それは本当に最悪にならないための防御反応

体調不良は、当時は最悪だと思っていたけど、今はあの時ゆっくり家族のもとで休めてラッキーだったと考えている。そう思ったら、本当に最悪なことは起こらないのかもしれないとも思うようになった。
きつい状況は、何かのサインなだけかもしれない。それに気がついて軌道修正したら?のサイン。体調不良は、考えとか生活を改めるためのサイン。動けなくなったのはそれ以上やったらまずいから強制終了してくれたんだと
35: 美味しいものを美味しいと思って食べられることは幸せ
美味しいものを目の前にしても、食欲がわかない日々を経て思ったこと。美味しいと思って美味しいものを食べるって最高に幸せ

感じられる=生を実感する=喜び

あまりに辛いと不感症になる。死後はわからないけど、死んだら感覚器官はないから何も感じなくなるはず。

つまり、生きているって感じることだと思う。

だから、生きてるうちにたくさんのことを感じたい。

それがどんな感じだとしても、今しかできない(生きているうちしかできない)特権だと喜んでいたい